今さら好きって言えるかよ (7)
2「え? 雷市、くんの」
スマートフォンを握る手に力がこもった。
動揺のあまり、ちょっと刺々しい物言いになってしまった自覚はあった。
しかし平畠は大して気にもとめていない様子で「ああ」といつもの調子で返ってくる。電話の向こうでは聞き覚えのある応援団の演奏が流れおり、おそらく野球中継を見ているんだろう、と察した。
真田はちょうど自主トレーニングを終えたところで、ロッカールームで着替えている最中に平畠からの着信が残っていることに気がついた。寮に帰ってからでいいかな、と思いながらも、なんだか妙に気になってしまって、自販機で買ったミネラルウォーターを片手にベンチに座り、平畠に折り返し電話をかけたのだった。
「ちょうど帰ってこられそうだからって」
年末恒例となっている、薬師高校野球部の飲み会の話だった。といっても同窓会のようなちゃんとした催しではなく、来られそうなメンバーで飯を食おう、といったゆるい集まりだ。県外に出た真田も帰省のタイミングが合わず、過去に二度しか顔を出せていない。
高卒でプロ入りをした雷市に至ってはシーズンが終わってもなんだかんだと忙しいようで、一度も顔を出すことがなかった。
そもそも、雷市が地元に帰ってきているという話も聞いていない。
――雷市に会える。
思わず、ペットボトルを強く握りしめてしまった。
今さら会って、どうするというのか。
雷市はもう真田のことを恋愛対象としては見ていないだろうが、真田は雷市のことが好きで好きでたまらないから、どうしたって意識してしまうだろう。雷市と気まずい空気になるのだけは避けたかった。でも、この機会を逃したら、次はいつ雷市に会えるかもわからない。
真田が返答につまっていると、まるでなにもかもを見透かしたように平畠がさらりと告げる。
「お前も来るって言っておいたから」
「おい!」
「お前の顔みたいんじゃないのか、雷市も」
「……どうだかなぁ」
苦々しく笑うが、どうやらもう後には引けないらしい。よく考えてみれば、二人きりで会うわけでもない。それなりの大所帯になるだろうから、雷市と話す機会があるかもわからなかった。
まぁ、顔を見るぐらいならいいか……という気持ちになってくる。
「わかった。俺も行くよ」
腹をくくってしまえば雷市に会える年末が楽しみになってきて、アウター新調しようかな、なんて考えたりした。
真田は案外単純な男だった。
「らいちーお前ほんとに彼女いねーの?」
「い、いない……です」
「あの子は違うんだ?」
「あれは……他の人たちと飯に行って、先に帰るって言ったあの人を、駅まで送ったときで……そういうのじゃ、ないです」
「彼女ほしくないんだ」
「うん」
「マジかぁー」
がやがやと騒がしい居酒屋で、雷市たちの会話が耳に入ってくる。真田は雷市から離れた隅の席で、雷蔵とちまちま枝豆をつまんでいた。
座敷席には薬師高校野球部のOBが集まっており、みんな揃って体格のいい男たちなものだから、とにかく非常にむさくるしい。彼らは雷市との再会がよほど嬉しいようで、「いっぱい食えよ」と次から次へと雷市に料理を食べさせようとしている。いくつになっても、先輩たちにとって雷市はあの頃の雷市のままなんだろう。
さすがの雷市でも食いきれねーだろ、と思ったものの、三島が「雷市のこと甘やかしすぎでしょうよ! 可愛い後輩がここにもいますけど!?」と文句を言いながら皿を奪いとっているので、心配はいらなさそうだった。
「色気もあったもんじゃねーなぁ、あいつ」
先ほどの会話を聞いていたらしい雷蔵が、呆れたようにぼやいた。
「はは。変わってませんね」
「お前もだろ。飽きもせず野球ばっかしやがって」
それをアンタが言うのかよ、と突っこみたいところではあったが、雷蔵に会うのもずいぶんと久しぶりなので拗ねそうなことは言わないでおく。
「……まぁ、俺は失恋したばっかなんで。もう野球一筋でいきますよ」
軽口のつもりでそう返すと、周囲から
「えっ!」
と驚きの声があがった。
「え? な、なに……」
わらわらと押し寄せた男たちに、真田はあっという間に取り囲まれてしまう。みんな既に出来上がっているようで、普段よりもテンションも高い。
「俊、お前フラれたの!?」
「言えよー!」
「おい、真田が傷心中だってよー」
「マジか」
「飲め飲め!」
「いや、別に落ちこんでねーし……」
彼らがよってたかって慰めようとしてくるものだから、真田はたじろぐばかりだった。
どうしよう。
こんな大事になるとは思っていなかった。
苦笑いをしながら視線を泳がせると、たまたまその先にいた雷市と目があった。しかし、すぐ気まずそうに視線を逸らされてしまう。
――あ、誤解されたかも。
咄嗟に声をかけようとしたが、友人たちに「俊ー! 俺らがいるからな~!」ともみくちゃにされて、もうそれどころではなくなってしまった。
「このあとどうする?」
「シメいく?」
幹事である平畠が会計を済ませているあいだ、みんな店の外でだらだらと話しこんでいた。
誰もがまだ話したりないようで、このまま二次会に行くような雰囲気だ。酒くさくて図体のデカい男たちの間を縫って、真田は雷市の姿を探した。雷市は少し離れた街灯の下で、ぼうっと夜空を見上げていた。
「雷市!」
声をかけながら、小走りで近づく。
「……真田先輩」
雷市が驚いた顔で真田を見た。
「……えっと、あのさ」
「なんですか?」
なんですか、と問われて、ぐっと言葉につまる。なんと切りだせばいいだろうか。
――このあと、時間ある?
なんて急に誘われても雷市は困るだろう。もしかしたら、このあと三島や秋葉たちとどこか別の店に入る予定があるのかもしれない。離れて暮らす父親と積もる話もあるはずだ。
真田が言いよどんでいるうちに平畠が店から出てきて、ひとまずこの場は解散、あとは各自好きなように、という流れになった。
「おーい、雷市ー。帰んぞ」
遠くで雷蔵が雷市を呼んでいる。
どうやら二人はこのまま帰る予定のようだった。
「すんません、先輩。親父が呼んでるんで……その、また飯……行きましょう」
雷市は申し訳なさそうに軽く頭を下げ、立ち去ろうとする。雷市の背中が目に入った瞬間、胸が大きくざわめいた。
焼きつくような焦燥が、真田を駆り立てる。
このまま、雷市を帰したくなかった。
歩き出す雷市の腕を反射的に掴んで、引き留めた。
「監督!」
真田が大きく声を張りあげた。
ぎょっと驚いた周囲から、一斉に視線が真田に向けられる。雷市も目をまん丸にして固まっていた。
「すんません! 雷市、ちょっと借ります!」
「えっ……え!?」
戸惑う雷市に構うことなく、掴んだ手を引いて走り出した。もうどうにでもなれ、と半ばやけくそな気持ちで、雷市の手を強く握る。汗ばむ指先が、夜風を受ける頬が、心臓が、燃えるように熱い。
「好きなだけ借りとけー」
遠くから、雷蔵の声が聞こえた気がした。
真田たちが行き着いたのは、人気のない公園だった。
はあ、はあ、と息を整えながらしばらく園内を歩いて、ベンチを見つける。
真田はベンチに腰を下ろし、一息つきながら
「はは、走りこみ……足んねーのかも……」
と額に汗を滲ませて、正面の雷市を見上げた。
オーバーサイズのミリタリージャケットの前を開け、襟元を少しぱたぱたと扇ぐ。雷市も息を乱していたが、まだ余裕そうに見えた。プロとは基礎体力が違うのだと思いしらされて、ちょっと情けなくなる。
雷市も少し考えたあと、真田の隣に座った。
少しの間を置いて
「……失恋、した……んですか」
そう、遠慮がちに尋ねてくる。
膝上で指先を絡めて、ぐっと力をこめる。
「……したよ」
心臓が激しく脈打って、痛いくらいだった。
吐く息は白く色づくくらい冷えこんだ夜なのに、身体の内側は燃えるように熱い。
眉間を寄せながら細く息を吐いた。
「お前に」
絞りだすように、告げた。雷市がどんな顔をしているのか、確かめることはできなかった。
俯いたまままくし立てるように言葉を続ける。
「今さらこんなこと言われても困ると思うけどさ。俺、お前のこと好きだったみたいなんだよ。ずっと。あの頃から。おかしいよな。なんで今さら気づくんだって」
喉が焼けたように熱く、情けなく震えた声で笑う。
「せんぱ」
「ほんと、遅いよな。二回もお前のことふっといて」
「さなだ、先輩」
「ごめん、本当……まだ、好きで……ごめん」
それ以上はうまく言葉にならなくて、代わりにぶわりと涙があふれた。
「マジで、ごめん」
こんな情けないところ、雷市に見せるつもりじゃなかった。
「俺、まだ頑張るから」
項垂れながら、鼻を啜る。
「いつかお前と同じ場所……チームが違っても、同じ舞台で、野球できるように」
雷市からの返事はない。
きっと、雷市を困らせてしまっているだろう。
「それで、お前にまた……好きになって、ほしい……とか、思っちゃって……必死で、ごめん」
「先輩!」
がしっと、強く手を掴まれる。
はっと顔を上げると、目の前に雷市の真剣な瞳があった。真田は大きく息を呑む。
「また、ってなに?」
雷市は両手で真田の右手を包みこみ、ずいっと更に顔を寄せてくる。雷市の手のひらは分厚くて、硬くて、じっとりと熱い。まっすぐで揺らぎのない眼差しが真田をとらえて離さなかった。緊張した面持ちで、食い入るように真田を見つめている。
「俺、今も先輩のこと……好き」
「……えっ?」
真田は引きつった顔で固まった。
――いま、なんて言った?
雷市が、俺のこと、好き?
「は!? なに? え?」
パニックになった真田は、顔を真っ赤にして後ずさる。「だっ、だから! 俺はあの頃からずっと……ずっと、真田先輩のことが好き、でし!」
同じくらい動揺した雷市が、真田の手をぎゅーっと握りしめながら盛大に噛んだ。
「でしって……っ、ふ……あはは」
しばらくの沈黙のあと、真田は耐えきれずに吹き出した。雷市は耳まで赤くして目を泳がせている。
「……それ、マジ?」
ぎこちなく、雷市の両手に左手を重ねた。
びくっと雷市の肩が跳ねる。
「マ……マジ、です」
「だってお前、恋人いらねーって言ってたじゃん」
真田の指摘に、それは違うと言いたげに雷市が身を乗り出してくる。
「俺は、真田先輩が好きだから……恋人がほしいわけじゃねぇ……です」
たどたどしく、懸命に伝えられる雷市の言葉に、鼓動がいっそう早まっていく。
「真田先輩」
雷市の顔が近づいてきた。
思わずふいっと顔を逸らす。
「先輩!」
「だ、だって急に……んな、さぁ」
真田はすっかりうろたえて、りりしく形のいい眉をふにゃふにゃに崩した。
「もう、脈ねえっていうか……お前、俺のこと好きじゃねーのかなって、思ってたし」
「なんでそう思ったの」
「前会ったとき、そういう感じじゃなかったから、さぁ……」
「ドキドキしてたよ」
鼻と鼻がくっつきそうなくらい、雷市が距離を縮めてきた。もう逃げられそうにない。
「久しぶりに会った先輩、すごくかっこよくなってて……緊張した。絶対、この人に俺を好きになってほしいって、思って……もっともっと、頑張ろうって」
雷市を見つめる視界が、じわ、と熱く潤む。
雷市の目にも同じように涙が滲んでいた。
もう、心臓が壊れそうだ。
真田が泣きそうに顔を歪めると、雷市の両腕が背中に回る。
「……真田、先輩」
息が苦しいほどに強く抱き寄せられた。
真冬だというのに、ぶわり、と春の香りが記憶の奥底からよみがえってくるようだった。真田が卒業を迎えたあの日、雷市は真田の胸で必死に声を押しころして泣いていた。
「すげー…好き。好き……俺、先輩のこと……ずっと、大好き」
ずずっと鼻をすする音がする。
――俺、お前のことふったのに。お前の気持ちに応えてやれなかったのに。今でも泣くぐらい、俺のこと好きでいてくれるのかよ。
雷市の一途さに、純情さに、打ちのめされる。
「……お前って、ほんとさぁ……」
ぎゅう、と雷市を抱きしめかえした。
腕の中に雷市の熱を感じる。手放したくないと思った。雷市に変えられた人生だ。もう今さら、こいつなしの人生なんて考えられるはずがない。
「待たせてごめんな」
雷市が胸に顔を埋めたまま、首を振る。
いい年して、すごく恥ずかしいけど。今さらだって思うけど。今、口にしなくちゃ男が廃る。
「……雷市。すげー好き」
覚悟を決めて耳元で小さく囁くと、雷市はぼろぼろと子どもみたい泣き出した。「俺も、先輩が好き。好き。すき、すきです~……」と倍以上の言葉が返ってきて、本当にこいつには一生敵わないな、と真田は笑った。
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